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フィンドホーン・コミュニティーとはスコットランド北部のフィンドホーンという所にある農園で、自然との関わり方をここで学ぼうとする人々が世界中から集まり、集団で農作業を行なっている。現在、二百名程度が住んでいるという。 この農園は、1962年にこの痩せた土地に移り住んだキャディ一家と友人ドロシーによって拓かれた。彼らは園芸などの経験も無く、設備も乏しいままに農業を始めた。しかし、キャディ家の妻アイリーンが授かる霊的啓示や、ドロシーが土地の精霊から受けるアドバイスなどに導かれ、農園は次第に形を成していった。 さらにキャディ家の夫ピーターの友人で、牧神や妖精などとコンタクトできる老人オギルヴィー・クロムビーの助言で農園内に「妖精に捧げる聖域」を設け、妖精たちとの共存を願った。 農園では、肥料をやる時期や植え替え時期、水のやり方などを精霊の教えにより決め、また農薬や化学肥料は全く使わなかったという。 そうするうち、作物は常識では考えられないほど豊かに実るようになった。キャベツやブロッコリーなどの野菜は巨大に育ち、寒冷地にもかかわらず南国の花々が咲いた。 こうした現実から、訪れた専門家はもちろん一般の人々の間でも話題になっていった。 現在の農場では巨大作物は作っていないというが、人間と自然の在り方を考える作業は日々続いているという。 |
1917年、イングランドヨークシャー地方コティングリィ村に住むエルジー・ライト(13)と、南アフリカから来ていた従兄弟フランシス・グリフィス(10)という二人の少女が世界で初めて妖精の写真を撮ったとして大騒ぎになった事件。 1920年、最初にその写真の存在を知ったオカルト研究家エドワード・ガードナーは、写真技術者に鑑定を依頼し、二重露光などのトリック写真ではないという結果を得た。 そこでガードナーが、再び妖精を写真に収めてくれないかと少女たちにカメラを渡したところ、新たに三枚の撮影に成功した。(しかし撮影現場には同行できなかった) この写真を以前と同様に鑑定した結果、トリックの痕跡は認められず、また乾板のすり替えを防止するためにあらかじめつけていた目印もそのままだった。 このためガードナーは、これらの写真が本物であると確信し、心霊学に詳しい作家コナン・ドイルにこの写真を送った。 ドイルはこの写真を雑誌に紹介し、そこから写真の真偽論争が巻き起こった。 偽物だとする人々の根拠の主なものは・・・
などで、それに対する反論としては・・・
などが言われたが、真相はしばらく分からないままだった。 1982年、二人はこの妖精写真が偽物であった事を告白した。それによると写真の妖精は『メアリー女王のギフトブック』という本の絵を紙に模写し切り抜いて作ったものであり、それを自分たちの体の周りにうまく配置し、シャッターを押したものだという。 ただしフランシスは亡くなるまで「うち一枚だけは本物だ」と主張していたという。
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11世紀、イギリスのサフォーク州に現れた緑色の肌をした二人の子供のこと。ある日突然ウルフピッツという洞穴から出てきたその男の子と女の子は、全く言葉が通じず食べ物も豆しか口にしなかったという。 男の子はしばらくすると死んでしまったが、女の子は生き続け、だんだん他の食べ物も食べるようになり、肌の色も次第に人間と変わらなくなったという。 英語を覚えた彼女が語ったところによると、二人は日光のささない国に住み、薄明かりの中で暮らしていたが、ある日洞穴で迷子になり、気がつくと見知らぬ世界へ出てしまったのだという。 彼女は後に地元の男性と結婚し生涯をおくったという。 彼らの正体はいまだ謎に包まれているが、村人たちが彼らを妖精だと考えたのも無理のない事のように思える。 |
1887年8月、スペインのバンホス村の洞穴から緑色の肌をした二人の子供が出てきた事件。 その男の子と女の子は、全く言葉が通じず食べ物も豆しか口にしなかったという。 男の子はすぐ死んでしまったが、女の子は5年ほど生き、暮らすうちに他の食べ物も食べるようになり、肌の緑色も次第に薄くなっていったという。 彼女は身の上を語り、二人は日光のささない国に住んでいたが、ある日迷子になり、気がつくと見知らぬ世界へ来てしまったのだといった。 イギリスに現れた緑子にそっくりな彼らも正体は不明である。 |