当時の人々は、たとえどれほど殺そうが、膨大な数のリョコウバトにとっては大した事では無いだろうと考えていた。しかし実は、開拓により多くの森林が姿を消したことも繁殖に悪影響を及ぼし、リョコウバトの生息数は減少していたのである。
やがて目に見えてリョコウバトが減ってくると、ようやく1867年にニューヨーク州が、そして1870年にマサチューセッツ州、1878年にペンシルヴァニア州がそれぞれリョコウバト狩りを禁じた。だがこれらの地域では既に、リョコウバトをめったに見られないほどになっていた。
残る地域でも、容赦ない狩りによってリョコウバトは減り続け、やがてハト狩りが商業として成り立たなくなるまでになった。1893年ごろのことである。
そして1907年9月23日には、ケベック州サン・ヴァンサンで野生の最後の一羽が撃ち落とされた。
この時点でまだ、動物園向けに捕獲されていたわずかなリョコウバトが生き残っていたが、そこから数が増えていくことはもう無かった。1914年9月1日の午後1時、シンシナティ動物園で飼育されていた最後のリョコウバト”マーサ”が死んだ。死骸はワシントンの国立博物館に送られて、剥製にされた。
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