15世紀末、ヨーロッパからアフリカを回りインドに至る航路を開拓したポルトガル人は、この航路の補給基地となる島を探していた。そして1507年、ドードーたちが棲むマスカリン諸島が発見された。
ドードーについてのくわしい報告は、1598年のインド洋探検でモーリシャス島(当時のイラ・ド・セルネ島)に上陸したオランダ人ファン・ネック提督によるものが最初である。彼はこのとき、ドードーを「ヴァルフ・フォーゲル(walgvogel)」(嫌な鳥)と呼んだ。煮込めば煮込むほど肉が硬くなる、とてもまずい鳥だったからだという。
1599年、ネック提督の艦隊の一部が1羽のドードーをオランダに連れ帰った。その半年後、残りの艦隊がさらに1羽を連れ帰った。そして、うち1羽はルドルフ2世に買い上げられてドイツに移り、人気者になったという。
”嫌な鳥”と呼ばれたドードーは、この頃からポルトガル語で「間抜け」とか「のろま」という意味の”ドードー”と呼ばれるようになっていった。一説にはその鳴き声が「ドードー」「ドゥードゥー」などと聞こえ、そこから呼び名が付いたともいう。
1600年代に入ると、モーリシャス島を長期航海のための中継基地にしようと考えたオランダ人は、島を植民地とし、香料、砂糖、パイナップルなどの栽培を始めた。
入植者たちはドードーを捕らえ、食料として貯蔵したり、寄港する船に売ったりした。また人間と共に上陸したイヌやネズミも、ドードーの卵やヒナの味を覚えていった。
モーリシャスを訪れた旅行者はドードーを見学するのが常だったが、肝心のドードーは次第にその数を減らしていった。
1681年に島を訪れたイギリス人ベンジャミン・ハリーの目撃を最後に、生きたモーリシャスドードーは見られなくなった。
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