しかし、1770年にイギリスの探検家キャプテン・クックがオーストラリアに上陸して以後、ヨーロッパ移民がオーストラリア本土はもちろん、タスマニアにも渡ってくることとなり環境が変化した。
19世紀、移民たちが導入した家畜をフクロオオカミが襲うようになったため、フクロオオカミは”ハイエナ”と呼ばれ目の敵にされた。1888年からは政府もフクロオオカミの駆除を奨励し、1909年までの22年間懸賞金がつけられ、虐殺が行われた。このとき人々はただ殺すだけではおさまらず、全身を打ちのめし粉砕したという。(原形を留めぬ殺し方であったため、フクロオオカミの科学的資料は現在ほとんど残されていない)
1930年に野生で最後とおもわれる1頭が射殺され、翌年ロンドン動物園で飼われていた1頭が死んだ。絶滅かと思われたが、1933年新たに1頭が捕獲されホバート動物園で飼育された。
それ以後捕獲の記録はなく、1936年にホバート動物園の1頭が死んだのを最後に絶滅したものと考えられている。
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