<人魚>という古い記述は『扶桑略記』『古今著聞集』といった書物にみられるが、中国の人魚像がそのまま伝わったものらしく、その姿については人面魚のようなイメージであったらしい。
とはいえ「鳴き声が小児のよう」だとか「四足をもつ」などと記す書物もあり、西洋のように海獣類(アシカなど)の影響があった可能性も考えられる。
いずれにしても中国同様、やはり現代的(西洋的)な人魚のイメージとはズレている。
実は、上半身が美しい女性で下半身が魚という西洋的人魚像が日本に広まったのは、江戸時代に西洋書物の内容が紹介されるようになってからのようである。
例えば江戸時代の『和漢三才図会』になると、人魚は「西海の大洋の中に、ままこのようなものがいる。頭や顔は婦女に似ていて以下は魚の身体をしており、あらい鱗は浅黒色で鯉に似ており、尾には岐がある。……暴風雨のくる前に姿を見せる。漁父は網に入っても気味が悪いので捕えない。阿蘭陀(オランダ)では人魚の骨を解毒剤としているが、すばらしい効目がある」と紹介されており、すっかり西洋的な特徴を備えている。
ちなみにこの『和漢三才図会』でも、前述の(てい)人は外夷人物の一として紹介しているが、人魚はあくまで魚類の一としている。
このほか沖縄に残るニライカナイ伝説にも人魚が登場する。沖縄ではジュゴンはザンノイオ(犀魚)と呼ばれ、常世の国ニライカナイに住む人魚神をその背に乗せると信じられた。
人魚神は島に毎年やって来て、人々に幸せをもたらし、ザンノイオに乗ってニライカナイへ帰っていったという。
こうしたことからザンノイオは神聖な動物とされたが、人魚神が大津波を起こすと考えられたため、一面では津波の予兆として恐れられたという。
なお、戦前の沖縄では人魚を目撃したという話が多かったそうであるが、ジュゴンの分布域であることから、ジュゴンの誤認という可能性も考慮すべきであろう。
|