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リョコウバト

【PASSENGER PIGEION】

◆膨大な生息数

1800年代の北アメリカ東部には、鳥としては史上最多の生息数(一説には50億羽ともいわれる)を誇るハトが存在していた。渡り鳥であったところから”旅をする鳥”、リョコウバトと呼ばれたこの鳥は、我々が想像も出来ないほどの巨大な群れを形成したという。

例えばマーク・ケイツビーが1731年に著した本の中には、このハトは「冬になるとヴァージニアとカロライナに、信じ難いほどの数が北方から飛来する。あまりの数の多さに、彼らのねぐらとなった場所ではオークの木の枝がその重みで折れてしまうこともある。そしてねぐらの木の下には厚さ数インチの糞がたまる」とあり、「彼らが切れ間なく三日間飛ぶところを見た」とも記されている。

また1810年ごろ、スコットランドの鳥類学者アレクサンダー・ウィルソンは、幅1マイル以上もあるリョコウバトの一群が4時間かけて上空を通過するのを目撃し、その群れ全体の個体数を22億3千万羽と推定した。

ほんの200年前までこれほどの数を誇ったリョコウバトも、今の我々は見ることが出来ない。人間によって狩り尽くされ、絶滅してしまったからである。

◆膨大な捕獲数

ネイティブ・アメリカンはリョコウバトの脂肪からバターを造ったりしていたが、「雛を育てている親鳥は殺さない」などの気遣いがあったというが、次第に数を増しはじめた白人移住者たちは違った。

リョコウバトの肉はとても美味だったので、渡りの時期がくると彼らはハンターとなり、ひしめくように頭上を通過するリョコウバトに向けて散弾銃を撃った。

また繁殖期には、より効率的に殺すために営巣地を狙った。何しろ森で待ち構えてさえいれば、ハトは大挙して飛来し、折り重なるようにして木々の枝に止まるのである。大勢の人々が銃や棒を用いて、やって来たハトを殺せるだけ殺した。獲ったものの一部は食料として塩漬けされ、残りは家畜のエサなどにされた。

さらに鉄道が整備されると、リョコウバトは商売として捕獲され、諸都市へ大量に輸送されるようになった。肉は食料として、羽毛は羽根布団の材料として、それぞれ良い値段で売れたからである。またスポーツとしての狩猟においても、格好の標的となった。

専門業者らによる銃や仕掛け網での大量捕獲はますます加速し、1860年代には毎年1000万羽にも達する規模で行われていた。

◆最後の一羽

当時の人々は、たとえどれほど殺そうが、膨大な数のリョコウバトにとっては大した事では無いだろうと考えていた。しかし実は、開拓により多くの森林が姿を消したことも繁殖に悪影響を及ぼし、リョコウバトの生息数は減少していたのである。

やがて目に見えてリョコウバトが減ってくると、ようやく1867年にニューヨーク州が、そして1870年にマサチューセッツ州、1878年にペンシルヴァニア州がそれぞれリョコウバト狩りを禁じた。だがこれらの地域では既に、リョコウバトをめったに見られないほどになっていた。

残る地域でも、容赦ない狩りによってリョコウバトは減り続け、やがてハト狩りが商業として成り立たなくなるまでになった。1893年ごろのことである。

そして1907年9月23日には、ケベック州サン・ヴァンサンで野生の最後の一羽が撃ち落とされた。

この時点でまだ、動物園向けに捕獲されていたわずかなリョコウバトが生き残っていたが、そこから数が増えていくことはもう無かった。1914年9月1日の午後1時、シンシナティ動物園で飼育されていた最後のリョコウバト”マーサ”が死んだ。死骸はワシントンの国立博物館に送られて、剥製にされた。


リョコウバト

《分類》

  • ハト目ハト科。

《形態》

  • 体長約全長40cmと大型のハト。

《生態》

  • 北アメリカ東部から中央アメリカにかけて分布。渡り鳥で、夏を北部地帯で過ごし、冬になるとメキシコ湾沿岸地帯に移動。
  • 一ヶ所に定住せず、集団で移動を続けながら暮らす。
  • 繁殖期になると森林地帯に集結し、数千万羽もの集団で広大な営巣地を形成する。この大群が去った後の森林は惨状と化し、地上数インチも積もった糞で草は枯れ、樹木は枝が折れて裸になり、元通りに回復するまで数年を要したほど。
  • 産卵は年に一度、一個のみ。