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ドードー

【DODO】

◆モーリシャス島のドードー

15世紀末、ヨーロッパからアフリカを回りインドに至る航路を開拓したポルトガル人は、この航路の補給基地となる島を探していた。そして1507年、ドードーたちが棲むマスカリン諸島が発見された。

ドードーについてのくわしい報告は、1598年のインド洋探検でモーリシャス島(当時のイラ・ド・セルネ島)に上陸したオランダ人ファン・ネック提督によるものが最初である。彼はこのとき、ドードーを「ヴァルフ・フォーゲル(walgvogel)」(嫌な鳥)と呼んだ。煮込めば煮込むほど肉が硬くなる、とてもまずい鳥だったからだという。

1599年、ネック提督の艦隊の一部が1羽のドードーをオランダに連れ帰った。その半年後、残りの艦隊がさらに1羽を連れ帰った。そして、うち1羽はルドルフ2世に買い上げられてドイツに移り、人気者になったという。

”嫌な鳥”と呼ばれたドードーは、この頃からポルトガル語で「間抜け」とか「のろま」という意味の”ドードー”と呼ばれるようになっていった。一説にはその鳴き声が「ドードー」「ドゥードゥー」などと聞こえ、そこから呼び名が付いたともいう。

1600年代に入ると、モーリシャス島を長期航海のための中継基地にしようと考えたオランダ人は、島を植民地とし、香料、砂糖、パイナップルなどの栽培を始めた。

入植者たちはドードーを捕らえ、食料として貯蔵したり、寄港する船に売ったりした。また人間と共に上陸したイヌやネズミも、ドードーの卵やヒナの味を覚えていった。

モーリシャスを訪れた旅行者はドードーを見学するのが常だったが、肝心のドードーは次第にその数を減らしていった。

1681年に島を訪れたイギリス人ベンジャミン・ハリーの目撃を最後に、生きたモーリシャスドードーは見られなくなった。

◆レユニオン島のシロドードー

モーリシャス島の隣にあるレユニオン島には、白いドードーが生息していた。

1638年にフランス領となった島では移住が始まり、同時に動物の乱獲も始まった。

シロドードーは1640年頃に1羽、そして1685年頃にもう1羽がヨーロッパに送られたが、まもなくして島から姿を消したという。


◆ロドリゲス島のソリテアー

ロドリゲス島は、モーリシャス島などからかなり離れた場所に位置する岩だらけの小島で、フランス領ではあったがしばらく無人となっていた。

1689年、カトリック教徒との紛争を逃れてフランスからやって来た新教徒の一団がオランダにたどり着いた。そして彼らは、平和に暮らせるどこか遠くの土地を世話してくれるよう、オランダ政府に頼み込んだ。

オランダ政府はレユニオン島を薦め、新教徒たちはオランダ船で出航した。オランダ政府は、レユニオン島からフランスが引き上げたと聞いていたからである。

しかし途中寄港した喜望峰で、依然フランス軍がレユニオン島にいることを知り慌てた一行は、行き先を無人のロドリゲス島に変更した。

リーダーのフランソワ・ルガを含め8人になっていた新教徒は、島に上陸すると、珍しい鳥が多数生息するのを見つけた。その鳥は仲間で連れ立って歩くということがなく、「ソリタリー(独り者)」と呼ばれたという。小島での厳しい生活の中で、”ソリタリー”は新教徒たちの食料となっていたようである。

ルガら新教徒が2年後にモーリシャス島へ逃げ出すと、それ以後ロドリゲス島を訪れる者は数えるほどしかなかった。

1761年に天体観測隊の一人としてやってきたピングレは、ルガが1708年に出版した手記を読み、”ソリタリー”の存在を知っていた。ピングレは”ソリタリー”を探し、いくらかを見つけることが出来たという。

そして、それから”ソリタリー”を見た者はいない。


◆燃やされた剥製

イギリスの博物学者ジョン・トラデスカントは、ヨーロッパに送られたドードーのうちの死んだ1羽を買い取り、剥製として自らのコレクションに加えた。

そして彼が死ぬと、1683年、その剥製はオックスフォードにあるアシュモーリアン博物館に収められた。しかし博物館の環境は決して満足なものではなかった。ドードーは虫に食われ、汚れていった。

1755年、博物館長はその汚らしい剥製をガラクタとして処分した。焼却したのである。誰かが切り取っておいた頭と片足を残し、ドードーの剥製標本は失われてしまった。ドードーが最後にモーリシャス島で目撃された1681年から数えて、74年後のことである。

これ以後、ドードーの完全な剥製標本の存在は確認されていない。


ドードー

《分類》

  • ハト目ドードー科。

《形態》

  • シチメンチョウほどの大きさの、のろまな飛べない鳥。骨は多数残されているものの完全な剥製標本は無く、形態や羽色は古い絵画や文献による。これまでに三種の存在が知られている。
  • モーリシャスドードー(MAURITIUS DODO) 体重25kgほど、全長1m強。モーリシャス島に分布。単にドードーと言った場合、このモーリシャスドードーを指す場合が多い。1681年に絶滅。
  • シロドードー(REUNION DODO) レユニオン島に分布。モーリシャスドードーより太っていたといわれる。1746年絶滅。
  • ソリテアー(RODRIGUEZ SOLITAIRE) ロドリゲス島に分布。体重は20kg以下で、モーリシャスドードーより細身。1791年頃に絶滅。

《生態》

  • 生態についての情報は、モーリシャスドードーに関するものばかりである。
  • 森に集団で暮らし、木の実、果実、木の葉などを食べていたらしい。
  • 9月頃からが繁殖期で、3月から9月にかけて丸々と肥えたという。巣は地面に作られ、その際は大群をなしたとされる。
  • 繁殖期には気が荒くなり、翼にある骨のでっぱりを用いて喧嘩をしたり、巣に近づくものを容赦なく突付いたりしたという。