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人魚

1.中国の人魚

2.日本の人魚

3.人魚を食べると不老不死!?

4.人魚の類の出現記録

5.人魚のミイラ


『和漢三才図会』の人魚

1.中国の人魚

我々が思い浮かべる人魚とは、上半身が美しい女性で下半身が魚という姿だが、これは西洋的な人魚像であり、中国や日本に古くから伝わる人魚像とは多少異なっている。

例えば、人魚という語は『山海経』に登場するが、その姿はサンショウウオに似て四つ足を持つ魚で、鳴き声は赤ん坊のようだと記されている。呼称は同じ<人魚>でも、人間の要素があまり強くなく、あくまで魚の一種という扱いである。

ほかに、人魚という名ではないが人と魚の特徴を併せ持つものに陵魚(りょうぎょ)がある。これも”手足が生えた人面魚”といったところであって、あくまで魚身がベースとなっている。

では西洋的な人魚そっくりの姿をしたものの記録が無いのかといえばそうでもない。『山海経』『三才図会』に記録されている(てい)人がそれである。

この(てい)人は、「建木の西にある(てい)人国の人で、人面魚身で足が無い」と記されている。つまりこの(てい)人は、西洋の人魚と違い、れっきとした人間の一種族(他国人)とされているのである。

上半身が人間、下半身が魚という生物を想像する時、誰しも「この生物は人間なのか、魚なのか」と疑問に思うことだろうが、中国人はそれを人間に分類したのである。


鳥山石燕による”てい人”(人魚)

2.日本の人魚

<人魚>という古い記述は『扶桑略記』『古今著聞集』といった書物にみられるが、中国の人魚像がそのまま伝わったものらしく、その姿については人面魚のようなイメージであったらしい。

とはいえ「鳴き声が小児のよう」だとか「四足をもつ」などと記す書物もあり、西洋のように海獣類(アシカなど)の影響があった可能性も考えられる。
いずれにしても中国同様、やはり現代的(西洋的)な人魚のイメージとはズレている。

実は、上半身が美しい女性で下半身が魚という西洋的人魚像が日本に広まったのは、江戸時代に西洋書物の内容が紹介されるようになってからのようである。

例えば江戸時代の『和漢三才図会』になると、人魚は「西海の大洋の中に、ままこのようなものがいる。頭や顔は婦女に似ていて以下は魚の身体をしており、あらい鱗は浅黒色で鯉に似ており、尾には岐がある。……暴風雨のくる前に姿を見せる。漁父は網に入っても気味が悪いので捕えない。阿蘭陀(オランダ)では人魚の骨を解毒剤としているが、すばらしい効目がある」と紹介されており、すっかり西洋的な特徴を備えている。

ちなみにこの『和漢三才図会』でも、前述の(てい)人は外夷人物の一として紹介しているが、人魚はあくまで魚類の一としている。

このほか沖縄に残るニライカナイ伝説にも人魚が登場する。沖縄ではジュゴンはザンノイオ(犀魚)と呼ばれ、常世の国ニライカナイに住む人魚神をその背に乗せると信じられた。

人魚神は島に毎年やって来て、人々に幸せをもたらし、ザンノイオに乗ってニライカナイへ帰っていったという。

こうしたことからザンノイオは神聖な動物とされたが、人魚神が大津波を起こすと考えられたため、一面では津波の予兆として恐れられたという。

なお、戦前の沖縄では人魚を目撃したという話が多かったそうであるが、ジュゴンの分布域であることから、ジュゴンの誤認という可能性も考慮すべきであろう。


3.人魚を食べると不老不死!?

日本各地には、人魚の肉を食べて長寿を得る人間の話が伝えられている。なかでも有名なのが、若狭小浜の八百比丘尼伝説である。

昔、小浜(現在の福井県小浜市草生地区)にお里という娘がいた。17歳のとき里の無尽講に出て、出された人魚の肉を食べたところ、年をとらなくなってしまった。いつまでも美しいお里だったが、村人からは次第に気味悪がられるようになり、とうとう村に居られなくなった。お里は比丘尼となり、若狭をはじめ山陰、東北へと数百年も巡遊して仏法を広めた後、やがて故郷に戻り800歳で亡くなったのだという。

また東北地方には、人魚の肉を食べた清悦という男の話が残っている。源義経の家来であった清悦は人魚を食べたことで長寿を得、400歳で死ぬまで義経のことを語り続けたといわれる。

また琉球王朝では、ザンノイオの肉を不老長寿の妙薬として珍重し、王も食したという。


4.人魚の類の出現記録


(1) 『日本書紀』の推古天皇27年(619年)の項に、「近江国(現在の滋賀県)の蒲生河に、人間に似た生物が棲んでいた。摂津国(現在の大阪府)の漁師が堀江に沈めておいた網に、魚でもなく人でもない、子供のような生物がかかった」とある。当時の人にはこれが何という生物か分からなかったという。

(2) 寛政12年(1800年)、大阪西堀付近の川で人魚らしき生物が釣り上げられた。この生物は身長1メートルあまりで、赤ん坊が泣くような声を発していたという。このとき多数の見物人が出て大騒ぎになったといわれる。

(3) 昭和4年9月、高知県宿毛(すくも)海岸で漁船の網に人魚らしきものがかかった。体重80キロで頭が犬、顔は人間、尾が魚という不思議な姿をしていたという。


和歌山県橋本市の市立郷土資料館に伝わるミイラ

5.人魚のミイラ

18世紀のヨーロッパでは、アジア産の人魚標本なるものが出回るようになっていた。この標本は、サルの上半身とサケの尾を組み合わせるなどして日本や中国で捏造された物だったが、これが見世物小屋などで展示されると、その不気味さとリアルさはヨーロッパの人々に衝撃を与え、大変な評判となった。

こうして18世紀のヨーロッパで、実在を信じて人魚を探し求める「人魚狂時代(マーメイド・クレイズ)」と呼ばれる時期が始まり、約100年ほども続いた。そして日本は、江戸末期には人魚標本の一大輸出国になっていたという。

現在、オランダの国立ライデン民俗博物館には、江戸時代に日本で造られたとみられる人魚の標本が収蔵されている。

また日本国内では、人魚のミイラといわれるものが滋賀県蒲生郡蒲生町の願成寺、和歌山県橋本市の市立郷土資料館、静岡県富士宮市の宗教法人天照教の本社などに現存する。

それぞれの人魚に古いいわれが伝わっているが、果たして本物は存在するのだろうか。それとも全てはヨーロッパに輸出された物と同様の捏造品なのだろうか。